井内誠司の学界時評

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zoom RSS 『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・19-古代国家論と「大衆」・9

<<   作成日時 : 2017/04/04 22:21   >>

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前々項の続き)
1.古代国家論への転換

(12)石母田古代国家論と「大衆」(9)−「啓蒙主義」の克服からの「離脱」の原因と意義・4−

石母田の
「啓蒙主義」克服という課題からの「離脱」の意義
につき、
石母田古代国家論が、
現在の古代史研究において仮説や問題提起の重要性が忘れられ、
研究手続き的な厳密さだけが尊敬されるようになる
端緒となったこと
を指摘する根拠の第三は、
石母田が「啓蒙主義」克服においても先駆者・第一人者であったこと
である。

 「国民的歴史学運動」の参加者においても「啓蒙主義」克服は必ずしも共有された課題であったわけではない。

  例えば、近時、藤間生大は当時の状況につき
「民科の連中は…『啓蒙』という意識でサークル活動ばかりやってるところがあり…」(小嶋・戸邊ー2016、22頁)
と回顧している。

 傍線部に明白なように、ここでは、当時の意識を「啓蒙主義」の「克服」とはしていない。

 いかに100歳を超えた長老の証言とは言え、当時の運動の「思想的基盤」(石母田ー1960、382頁)として「啓蒙主義」克服という認識が広く共有されていれば、このような回顧にはならないであろう。

 もとより、石母田は早くからこの認識を有しており、またそれが「思想的基盤」であったことも単なる運動終息後の回顧ではないであろうが、しかし、共有されていたわけではないと考えられる。

 実際、石母田自身も「当時民科に集まっていた進歩的知識人」が
「地方の大衆のところにいって講演し、新しい思想に対してまだひどく懐疑的な聴衆とのあいだに二、三の質疑応答をまじえただけで帰京するやり方」
を取っていたと述べているし(石母田ー1960、361〜2頁。もちろん、石母田は不満を持っていた)、
「学ぼうとする大衆の意欲とその内容を見ないで、サークルをたんに新しい型や手とだけ考える思想」
「サークルの数やそのメンバーの増減だけが報告されて、なにが内容として話されているかは少しも討議されないような傾向」(同、366頁)
という運動の「弱点」の存在も認めている。

 これは上記のような「啓蒙主義」克服という課題が共有されない状況に対応するのであろう。

 また、運動の過程において、石母田より若い世代からも
「『大衆活動』に対する疑惑」
が一定の広がりをもって指摘されていた。

 すなわち、
「学問研究とサークル活動はどのような関係にあるか」
「サークル活動は研究に役立つか」
という批判や反省が提示されるようになる(以上、石母田ー1960、367頁)。

 そういう学界状況の中で、石母田は「啓蒙主義」克服を目指して活動していたのであって、この面においても彼は先駆者であり、第一人者だった。

 その石母田が「啓蒙主義」克服の術を見失ったことは、古代史研究・歴史学の「大衆」からの「かい離」の再生産を意味する。

 もとより、その課題が後学によって認識され克服されれば話は別であるが、後述のように現状はそうとは言えない以上、石母田古代国家論に上記の点を指摘せざるを得ないであろう。

 その根拠の第四は、
『日本の古代国家』が70年代以降の日本古代史研究の礎となったこと
である。

 石母田の実践活動・社会運動における動向の大勢が、同世代の知識人・研究者の一般的傾向に準じて考えられることは、これまでも述べてきた。

 しかし、石母田と同世代の知識人・研究者との決定的な相違が上記の点にある。

 例えば、石母田と同世代だった丸山眞男の代表作として挙げられるのは46年の「超国家主義の論理と心理」(丸山ー2015)であって、石母田の業績で言えば『中世的世界の形成』(石母田ー1988)と同年のものである。

 70年代の業績が特記されることはないし、それが政治学の基本的動向・あり方を決定づけたという話は聞かない(福田ー2000など参照)。

 他の石母田と同世代の知識人・研究者も同様である。

 そもそも丸山は50年代の大病以後は「僕は煽動するんだ」と述べていたとされており(福田ー2000、48頁)、自らの基本的役割を後学の指導・育成においていたと見られる。

 しかし、石母田は違う。

 石母田も指導的役割は自認していたが、しかし、齢60に近くなっても「一兵卒」として研究の最前線を切り開く意欲に溢れていた。

 そして(驚くべきことであるが)その年齢にして構想の規模と独創性、論理的構成力の強靭さなどは他を圧しており、以後、『日本の古代国家』は古代史研究における最も基礎的な文献となった。

 しかし、その『日本の古代国家』が大衆との容易には埋めがたい「溝」(「かい離」)を抱えていたとすれば、それは日本古代史研究の抱える構造的欠陥の一つにならざるを得ない。

 上記の『日本の古代国家』の古代史研究における位置づけからすれば、その成果とともに課題も学界全体のものにならざるを得ないのであり、とすれば上記の問題を指摘せざるを得ないであろう。

 以上の4点の根拠から、筆者は石母田古代国家論につき上記の点を指摘せざるを得ない。

 もとより、古代史研究と「大衆」との「溝」の基本的責任を石母田に帰すことはできないし(本項・17参照)、それを埋める努力は後学においても継続されてきた。

 しかし、『日本の古代国家』以後の古代史研究が
仮説や問題提起の重要性が忘れられ、研究手続き的な厳密さだけが尊敬されるようになったこと
は否定できないし、一方、その研究成果の社会的還元の主要な場と言える
歴史教育においては、社会と古代史の専門研究との「かい離」を「土壌」に「厩戸皇子」の表記さえ否定される状況(前項参照)
にある。

 必要なことは、
なぜ、このような状況が生じるのかを考えること
であり、そのために、『日本の古代国家』・石母田古代国家論の上記の問題を指摘せざるを得ない。

 むしろ、
それが認識されていない現状はかかる状況が生じる原因の一つ
と言わざるを得ないのではなかろうか。

(この項、続く)


〈参考文献〉

・石母田正『中世的世界の形成』(『石母田正著作集5』岩波書店、1988年。初出は1946年)。

・石母田正「『国民のための歴史学』おぼえがき」(『石母田正著作集14 歴史と民族の発見』岩波書店、1989年。初出は1960年)

・小嶋茂稔・戸邊秀明「藤間生大さんに聞く『歴史評論』の青春時代」(『歴史評論』800、2016年)

・福田歓一『丸山眞男とその時代』(岩波書店、2000年)

・丸山眞男「超国家主義の論理と心理」(『超国家主義の論理と心理他八篇』岩波書店、2015年)


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