井内誠司の学界時評

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zoom RSS 『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・20-共産党綱領との関係・1

<<   作成日時 : 2017/04/11 23:38   >>

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前項の続き)

1.古代国家論への転換

(13)石母田古代国家論と共産党61年綱領(1)−61年綱領の概要及び石母田と党内対立−


 本項以後は日本共産党が61年に採択した
いわゆる「61年綱領」と石母田古代国家論の関係
について検討する。

 ただし、後述するように
石母田古代国家論とこの綱領及び採択に至る論争・党内対立との間
には
内容的に直接の連関は認めがたく
石母田本人の発言も確認されない
状況にある。

 故に、以下の検討は基本的に推測に拠らざるを得ない。

 また、当時の党内対立や国際共産主義運動ともかかわるこの綱領とその採択過程について、古代史研究者である筆者には深く立ち入る知見はない。

 以下はこの綱領と、それに対立する春日庄次郎、およびそれ以外の著者による少数の関連文献に目を通した限りでの検討である。

 にもかかわらず、この問題を検討する理由は後述するが、ただ後者のこの綱領・論争についての筆者の知見不足は、後述のように石母田本人がそれらに深く立ち入った可能性が乏しいため、当面、大きな問題にはならないと考える。

ア.61年綱領の概要
 
 ここではまず、
61年綱領の概要
を整理しておく。

 共産党の61年綱領(日本共産党中央委員会出版局ー1996)は
「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義と、それに従属的に同盟している日本の独占資本である。」
「わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義に半ば占領された事実上の従属国になっている。」(以上、160頁)
とした上で、
「アメリカ帝国主義と日本の独占支配ー二つの敵に反対するあたらしい民主主義革命」
「人民の民主主義革命」(以上、165頁)
を目指すものである。

 この綱領制定の直接の歴史的前提は50年を契機とする党内対立にある(さしあたり、日本共産党中央委員会五〇年問題文献資料編集委員会ー1957・1981など)。

 当時、議会主義路線を取っていた共産党をコミンフォルムが批判、この対応を巡って党内は徳田球一派(所感派)と宮本顕治派(国際派)に分裂する。

 主流派だった徳田派は武装闘争路線を採用、新綱領を「民族独立のために全人民諸君に訴う」(日本共産党中央委員会出版局ー1996)で提示し、51年に採択する。

 以後、主流派はこの路線に沿って「闘争」を展開し、一方で両派の熾烈な党内抗争も繰り広げられる。

 しかし、「闘争」の成果は得られず、党は56年の第6回全国協議会で武装闘争路線を「極左冒険主義」として自己批判の上、撤回、両派は一応の「和解」に至る。

 61年綱領はこの路線変更・「和解」を受け、51年綱領に代わる綱領として採択されたものである。

 この綱領採択を主導したのは宮本顕治で、この採択により党における宮本の指導性が確立したとされる。

 ただし、党内対立の余塵が消え去ったわけではなく、春日庄次郎が社会主義革命論を掲げ宮本に対抗。

 敗れた春日は同調した安藤仁兵衛らとともに党を去った。

イ.石母田と綱領採択過程における党内対立

 前述したように、石母田古代国家論とこの綱領及びその採択過程に内容上の直接の関連は認めがたいと考えられるが、ここでは
綱領の採択過程・党内対立に石母田が深くかかわった可能性はほとんどない
ことを確認しておく。

 第一に、石母田はこの問題に深く関わらねばならない立場になかった

 基本的に個人の主体性に基づいて行う研究はもちろんのこと、実践活動・社会運動においても石母田の拠点は基本的に党外にあったからである。

 40年代後半から50年代の活動拠点は民主主義科学者協会(民科)であって、これは党から独立した学会である。
 
 「国民的歴史学運動」の挫折を大きな原因として民科が衰退すると、運動面での主要な活動拠点が日本文化人会議に移ったことは本項・で述べた通りである。

 この組織は幅広い文化人の結集団体であり(本項・13参照)、当然ながら民科以上に党との関係はない。

 石母田は党運営を担う立場にはなかったのである。

 第二に、この問題に深く関わることは石母田にとって危険であったと考えられる。

 民科は前述のように独立学会であるが、石母田もそうであるように執行部に党員が多かったこともあり、「国民的歴史学運動」時には党内対立が運動に持ち込まれた(小熊ー2002など)。

 これは「政治的実用主義」に運動が翻弄される大きな原因となり、運動衰退の原因の一つとなった。

 「国民的歴史学運動」後も党外にあって、文化人の結集を目指す石母田にとって、党内対立と深く関わることは同じ失敗の繰り返しにつながる可能性がある。

 もとより石母田も党員であるから綱領問題と無関係であるはずがないが、深く関わることはなかったと考えられる。

(この項、続く)


〈参考文献〉

・小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社、2002年)

・日本共産党中央委員会五〇年問題文献資料編集委員会『日本共産党50年問題資料文献集』(新日本出版社、1957年・1981年)

・日本共産党中央委員会出版局『日本共産党綱領文献集』(1996年)
 

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