井内誠司の学界時評

アクセスカウンタ

zoom RSS 『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・21‐共産党綱領との関係・2

<<   作成日時 : 2017/05/02 12:15   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

前項の続き)

1.古代国家論への転換

(14)石母田古代国家論と共産党61年綱領(2)−社会主義革命論と石母田古代国家論−


 次に石母田古代国家論と61年綱領及びそれを巡る党内論争・対立との関係を概観しておこう。

 まず、党執行部と対立した
春日庄次郎の社会主義革命論と石母田古代国家論との関係
について。

 前項でも述べたように、石母田はこの綱領を巡る論争・対立に深く関わることはなかったと見られる。

 しかし、党員である以上、無関係ではあり得ず何らかの意思決定は必要になる。

 この際、
石母田が春日の立場を支持した可能性はほとんどない
と考えられる。

 社会主義革命論か61年綱領かの二者択一を迫られれば(実際、当時の党員はこの二択だったわけだが)、石母田は後者を選択したことだろう。

 春日の立場は春日ー1957・1961に示されているが、『前衛』に発表され、確実に石母田の目に触れたであろう前者に基本的によりつつ、
その内容を概観
すれば、基本的骨子は
(1)アメリカ帝国主義・自民党政府の基盤となっている独占資本を打倒し、
(2)合法的・民主的手続きを以て大多数の人民の利益を代表する「統一戦線政府」もしくは「革新連合政府」を樹立し、
(3)合法的・民主的手続きを以てサンフランシスコ体制の打破と「社会主義への平和的移行」(117頁)を達成する
というものと考えられる。

 言うまでもなく(1)〜(3)の達成には「大衆」の広範な支持が必要だが、春日は国内にその条件は整っているとしている。

 61年綱領には上記の立場から批判を加えているが、「民族独立」を掲げアメリカ帝国主義を主要な敵の一つとしている点などにつき、
(4)「かつての五一年綱領の民族解放民主革命の方式となおつながりがある」(118頁)
などと、51年綱領との連続性を批判している(他に120頁など)。

 石母田の立場と相容れないと思われるのは以下の3点である(カッコ内は対応する春日の上記の論点)。

 すなわち、
(ア)事実上、アメリカ帝国主義を闘争対象から除外する点((1))
(イ)「合法的」「民主的」手続き・「社会主義への平和的移行」の強調に見えるように、武装闘争に否定的な点((2)・(3))
(ウ)61年綱領以上に51年綱領との「訣別」を強調している点((4))
である。

 (1)の指摘が(ア)につながるのは
「闘争は独占資本の打倒に向って集中せざるを得ない」(春日ー1957、116頁)
「闘争は…日本独占資本の政策と支配に反対する闘争に集中し、統一されざるを得ない」(春日ー1961、16頁)
との文言に明白である。

 春日の立場によれば闘争は独占資本打倒(いわゆる「構造改革」による)に集中される以上、アメリカ帝国主義は直接の闘争対象には位置付けられず、事実上、除外されるのである。

 とすれば、石母田がこのような立場を支持しないのも明白と考えられる。

 石母田は
50年代にはアメリカ帝国主義にたいする「民族の独立」を目指して「国民的歴史学運動」を推進した
のであり、
古代国家論も50年代の「民族」の問題の延長線上に構築されている(本項・など参照)
のである。

 仮に春日の立場を支持していれば、『日本の古代国家』において対外「交通」論があれだけ大きな位置を占めることはなかったはずで、
この1点のみを以ても党の綱領として石母田が社会主義革命論を支持することはなかった
と考えられる*1)。

 (イ)について、春日は57年の段階では「社会主義への平和的移行」を強調する一方で、
「私は平和革命必然論ではありません」(春日ー1957、123頁)
ともしているが、61年の段階ではこの文言は消え、自らの戦いを国際的中立を勝ち取るための戦いとした上で、
「その実現は、革命の平和的な移行の可能性を実現するためのたたかいでもある。」(春日ー1961、18頁)
と改めて「革命の平和的移行」の必要性とその実現における自らの立場の意義を強調している。

 しかし、51年綱領の武装闘争路線に呼応し(井内ー2015など)、後には「武装闘争」ではないものの中国国内に大きな破壊と混乱をもたらした「文革」を高評価した石母田がこのような立場を支持したとは考えにくい。

 一方、党執行部は
「情勢が不利であっても帝国主義者と反動勢力はけっしてみずからすすんで権力をゆずらないだけでなく、可能なかぎり権力にしがみつくために、可能なかぎりの策動をおこなうものである」
「マルクス・レーニン主義党としては、革命への移行が平和的な手段でおこなわれるように努力するが、それが平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」(宮本ー1958、176〜7頁)
といういわゆる「敵の出方論」を展開している。
 
 後者についての石母田の認識の詳細は不明だが、春日の立場よりはこちらの方が説得的と考えたのではなかろうか。

 (ウ)は(ア)のアメリカ帝国主義の闘争対象からの事実上の除外、(イ)の「武装闘争」路線への否定的評価とも連動し、春日の基本的姿勢と考えられる。

 とすれば、(ア)・(イ)について春日と見解を異にする石母田が(ウ)についても支持しないのはある意味では当然と言える。

 誤解のないように付言しておけば、石母田は51年綱領に基づく武装闘争路線を「極左冒険主義」とする六全協の決定を受け容れている。

 また、かかる「過ち」を自らの問題として受け止め、自己の原因を「半身だけの唯物論者であること」(石母田ー1989、95頁)に求めている。

 しかし、「民族の独立」というその目的や武装闘争という手段について必ずしも否定していないことは上記の通りである。

 ただ、後者の武装闘争については上記の「敵の出方論」も「革命への移行が平和的な手段でおこなわれるように努力する」としている。

 前述のように、石母田のこの論についての認識の詳細は不明だが、「社会主義への平和的移行」が望ましいと考えていたことは確かであろう。

 しかし、春日ほどに武装闘争に否定的な立場を取っていたかは疑問である。

 以上のように、石母田の認識は基本的骨子の部分で春日の社会主義革命論とは相容れず、それを支持した可能性はほとんどないと言える。

 後述するように石母田古代国家論と春日の主張に相通じる部分がないわけではないが、
基本的に両者の間に関連はない
と考えられる。

(この項、続く)


*1)なお、石母田の実弟であり共産党の専従活動家であった石母田達は春日らの立場につき、主にアメリカ帝国主義を闘争対象から除外している点を批判している(「綱領路線はどのようにしてたたかいとられたか」〔『前衛』189、1961年〕)。


〈参考文献〉

・石母田正「歴史科学と唯物論」(『石母田正著作集13 歴史学の方法』岩波書店、1989年。初出は1956年。表1ーbP)

・井内誠司「石母田正『歴史と民族の発見』を読む(3)」(2015年)

・春日庄次郎「綱領上の問題点」(『前衛』135、1957年)

・春日庄次郎「社会主義日本をめざす戦闘的綱領を」(『社会主義への日本の道』新しい時代社、1961年)

・宮本顕治「綱領問題についての報告」(『前衛』145〔臨時増刊号〕、1958年)

 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・21‐共産党綱領との関係・2 井内誠司の学界時評/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる