井内誠司の学界時評

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zoom RSS 『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・22‐共産党綱領との関係・3

<<   作成日時 : 2017/05/23 12:53   >>

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前項の続き)

1.古代国家論への転換

(14)石母田古代国家論と共産党61年綱領(3)−61年綱領と石母田古代国家論・1−


 次に
61年綱領と石母田古代国家論との関係
について。

 結論から言えば、
基本的に両者の間にも直接の関係はない
と考えられる。

 これは言い換えれば、
石母田古代国家論は党の立場を「代弁」する所謂「党イデオローグ」の立場から構築されたものでは全くない
ことを示していると考えられる。

 その最大の根拠は、
石母田がいわゆる「構造改革論」をめぐる論争に注目することで「二重の生産関係論」を提起していること(石母田ー1967。92頁)
である。

 「構造改革論」は1956年にイタリア共産党で採択された政治行動路線で
「民主主義と社会主義の有機的統一を目指したいわゆる民主主義・社会主義革命のもとで」
「反ファッショ国民解放戦争の成果としての共和国憲法の進歩的内容に依拠しながら」
「諸構造の変革を通じて、社会主義への道を切り開く」
というものである。

 ロシア革命を社会主義革命の「モデル」としていないことから、スターリン批判以後の西欧のマルクス主義者に広がったとされる。

 日本では「日本では政策論に矮小化されて論じられ」、それを原因の一つとして「必ずしも生産的な結果をもたらさなかった」とされるが(以上、片桐ー1980)、62年に社会党書記長だった江田三郎がこの路線に基づき「江田ビジョン」を発表している。

 江田は「社会主義は、大衆に分かりやすく、ほがらかなのびのびしたものでなければならない」と述べた上で、その具体的内容を
「米国の平均した生活水準の高さ」
「ソ連の徹底した社会保障」
「英国の議会制民主主義」
「日本の平和憲法」
の四つを
「総合調整して進む」
としている(党大会で否決)。

 しかし、日本への導入の先鞭をつけたのは共産党員で、春日もその一派であった(以上、原ー2000。183頁以下)。

 すなわち、
石母田は春日と同じ立場に拠りつつ、「二重の生産関係論」を提起している
のである。

 ちなみに、春日は
「日本の社会経済的諸関係から、対米従属の性格を明らかにするのが、本来正しい方法」(春日ー1961、22頁)
として、対米従属を「出発点」とする61年綱領を批判しているが、石母田古代国家論は「対外交通」論と生産関係論の関係において春日の述べる「方法」を採っていると言える。

 すなわち、内容的にも石母田古代国家論は春日の見解と照応する部分もあると言える。

 とはいえ、前項前々項の検討からも、これは特に春日を意識したものとは思われない。

 「構造改革論」への注目は、「国家史」に石母田自らが記しているように、直接には当時の経済学者たちの社会主義への移行をめぐる論争に古代史研究の立場から呼応したものと見るべきであろう。

 内容的な照応も、春日の指摘自体は一般的なもので、「構造改革論」に注目して生産関係論を具体化すれば、むしろ、当然の結果と言えよう。

 しかし、石母田が
「構造改革論」にたつ春日と党執行部との対立、前者の否定の結果という61年綱領の成立過程に何ら拘泥せずに古代国家論を構築している
ことはあきらかである。

 次に、
60年代において、(内容が十分であるかどうかは別にしても)石母田が党執行部の方針に表立って異を唱えたことが確認されること
を根拠として挙げておきたい。

 すなわち、石母田は党執行部の方針の全てを無条件に受け入れていたわけではないと考えられる。

 このような「批判」の実例として
(ア)59年の『現代の理論』の刊行問題
(イ)60年の「安保闘争」で犠牲になった樺美智子の国民葬への党執行部の対応
(ウ)67年の「文革」高評価
が挙げられる。

 (ア)の『現代の理論』は党員だった安東仁兵衛が中心となって刊行された雑誌だが、党執行部の圧力により刊行停止に追い込まれた(安東ー1995、第15章など)。

 この問題は、その後、安東が春日と合流したために綱領問題とも関係することになった。

 『現代の理論』に対する党執行部の見解は『アカハタ』59年8月17日号(1面「主張 雑誌『現代の理論』について」)・9月26日号(2面「主張 マルクス・レーニン主義党の破りがたい原則」)などに示されている。

 この内、石母田は後者における、ポーランド統一労働者党第一書記・ゴムルカの見解を引用した党執行部の見解を批判している(石母田ー1960−1。372〜3頁。下線、井内。以下、同じ)。

 すなわち、石母田は同紙に引用されたゴムルカの見解を
党員科学者は、党の政策が、科学者として正しくないと考えた場合でも、多数の見解に従わねばならないこと(ママ)、それを欲しない場合には組織から去るべきだ」
とした上で、
(あ)「かかる場合に行動は党の政策にしたがうべきであるとしても」
(い)「ー思想と行動が分離し得る限りー、科学者はその研究の結果から得た真実を、多数の見解と異なるからといって、それをまげたり、それに従属させることはできない。」
と「科学者にとって最少(ママ。以下同じ)限の学問の自立の条件」を主張し、
(う)「右の最少限の条件を保証しない政党は科学運動を指導する資格に欠けている」
と執行部を批判している。

 (イ)は全学連主導の国会突入において機動隊に圧死させられた樺の国民葬に対し、このような「直接行動」に批判的だった党が不参加だったことを、当時の国民会議指導部の対応同様
「人民連帯の精神に混迷をもたらすこと」になった(石母田ー1960−2、222頁)
と批判したものである。

 (ウ)は「国家史」(石母田ー1967)において「文革」を「国家の死滅」につながるものとして高評価したものである。

 この時、すでに党は中国共産党と対立状態に陥っており(日本共産党中央委員会ー1969・1994など)、この論考の発表にあたって党員だった犬丸義一と「激論」が交わされたことにはこれまでも触れた(犬丸ー1990)。

 とはいえ、以上の批判が内容的に十分といえるかは議論の余地があろう。

 (ア)については、そもそも『アカハタ』に示されたゴムルカの見解の石母田の引用は正確ではない。

 基本的趣旨の部分のみの引用に留めるが、正しくは
党員は、党外で、党員の多数の信念、党機関の明らかにした党の政策に反するような自分の信念を述べる機会を持たない。」
というものである。

 後文にこの方針に従わない者は離党すべきという主張はあるが、そもそもその対象は「党員科学者」ではなく「党員」一般である。

 なぜ、石母田がそれを「党員科学者」に限定する形で「引用」したのかは不明だが、このように対象を限定すると、「党員科学者」以外の党員一般の党からの「思想の自由」の問題はどうなるのか、という問題が生じるが、特に石母田はコメントしていない。

 また、『現代の理論』刊行問題が提起した問題は「科学者にとって最少限の学問の自立の条件」の問題に留まるものではない。

 例えば、ゴムルカの見解を引用した「主張 マルクス・レーニン主義党の破りがたい原則」における党執行部の基本的主張は
「マルクス主義理論の発展をはかるというような趣旨の定期刊行物(引用者注、ここでの具体的対象は『現代の理論』)…を、特定の党員(個人や集団)がだすことは正しくない」
というものである。

 これは、マルクス・レーニン主義理論の発展は基本的に「前衛」である党において図られるべきという趣旨であり、マルクス主義者であった石母田にとっても重要な問題であったと思われるが、特に言及していない。

 (イ)についても、このような対応をもたらす党の体質や問題については言及していない。

 (ウ)についても、同じく「文革」をこう評価した井上清のように党を離党するような行動は取っていない。

 六全協以後も「党内民主主義」は常に議論の対象となっており、春日や安東などの問題もこの点と不可分であるが、石母田はこのような党の問題について踏み込むことはなく、批判は行っているとしても、全体としては執行部に融和的と言える。

 しかしながら、このような石母田の「異論」を過小評価して、石母田古代国家論を「党イデオローグ」の立場からのものと見ることはできないと考えられる。

(この項、続く)


〈参考文献〉

・安藤仁兵衛『戦後日本共産党私記』(文春文庫、1995年)

・石母田正「『国民のための歴史学』おぼえがき」(『石母田正著作集14 歴史と民族の発見』岩波書店、1989年。初出は1960年。表1ーbV7)

・石母田正「安保闘争おぼえがき」(『石母田正著作集16 学問と生涯』岩波書店、1990年。初出は1960年。表1ーbV9)

・石母田正「国家史のための前提について」(『石母田正著作集4 古代国家論』岩波書店、1989年。初出は1967年。表2ーbQ2)

・犬丸義一「石母田正さんとの出会い」(『石母田正著作集・月報』13、1990年)

・片桐薫「構造改革(イタリア)」(『現代マルクスレーニン主義事典』社会思想社、1980年)

・「攪乱者への断固とした回答」(日本共産党中央委員会〔出版局〕『日本共産党重要論文集』7、1969年。初出は1967年)

・日本共産党中央委員会『日本共産党の70年』(新日本出版社、1994年)

・原彬久『戦後史の中の日本社会党』(中公新書、2000年)

 

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