井内誠司の学界時評

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zoom RSS 『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか25-共産党綱領との関係・6

<<   作成日時 : 2017/09/06 19:15   >>

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前項の続き)
1.古代国家論への転換

(14)石母田古代国家論と共産党61年綱領(6)−61年綱領と石母田古代国家論・4−


 前々項前項の分析を踏まえて、
石母田の党執行部への学問への批判・介入の「権利」承認
の論理を整理すれば、
(α)プロレタリアートの特徴である「大衆」の参加による政治と学問の「結合」を組織的に担うのが党であり、
(β)したがって、党は「学問の世界」も掌握する
ことが基本的根拠となると考えられるが、他に
(γ)社会主義建設という苛烈な事業の遂行のためには、党という研究者より上位の機関がこのような「権利」を掌握する必要があり、
(δ)プロレタリアートであり苛烈な闘争により人格・英知を磨いた存在である党執行部がかかる「権利」を掌握することにより、学問の創造性が発展する
という認識も根拠になると思われる。

 以上の根拠の内、
最も重要な根拠となるのは(δ)と見るべき
であろう。

 執行部の介入が(δ)学問の創造性の発展につながらない限り、(α)政治と学問の「結合」、(γ)社会主義建設も本来の意味ではあり得ない。

 この(δ)が、前項で述べた(E)党執行部への高評価に基づくことは言うまでもない。

 本項では前項の分析を踏まえて、
(E)党執行部への高評価の背景
を今少し掘り下げてみる。

 かかる認識が
当時の知識人の一般的傾向に準じている
ことは前項の分析から明らかと見られる。

 党執行部への当時の知識人の高評価の基本的根拠が、
(1)彼らが獄中非転向という超人的行為を貫徹したこと
(2)「科学的知見」に基づいて敗戦を予測し、行動していたと見られたこと
前項で述べたとおりである。

 石母田の(E)党執行部への高評価の前提の内、(b)の闘争・「実践活動」についての認識に基づく党執行部への認識・評価が(1)・(2)と対応していることは前項で述べた通りである。

 (a)のプロレタリアートについての認識については石母田のプロレタリアート・労働者についての過大評価が背景にある可能性もある。

 53年の段階で石母田はサンフランシスコ講和条約や日の丸掲揚・資本家との「一体化」を称賛する労働者の文章に接して「少なからず期待が裏切られたように思った」(石母田ー1953。126頁)と吐露している。

 前項で述べた石母田の認識からすれば、これらの労働者は「深刻な問題」を「回避」していることにならざるを得ない。

 (a)の認識を示した「追記」(石母田ー1952)の発表は52年であり、執筆も大きくは遡らないと見られるから、認識はかなり共通していると思われる。

 つまり、52年の段階で石母田は(a)のプロレタリアート認識を実態化して捉える傾向がかなり強かったと見られる。

 しかし、一方で石母田−1953において「このような例はサークル誌でなんどもぶつかって」(上記、同頁)いたとも述べている(結論としては「この労働者のみじめな考え方と感じ方を問題にしなければなりません。しかも真剣に。」と問題に積極的に取り組む姿勢を示している)。

 若い時期の実践活動の経験からも、個々人のレベルでは自らの階級認識と一致しないプロレタリアート・労働者が存在することは認識していたはずである。

 にも関わらず、プロレタリアート一般の基本的特質を前項のように規定しえた背景には、やはり(1)・(2)の認識が存在したと見るべきであろう。
 
 すなわち、プロレタリアートの代表である党執行部が(1)・(2)のような行動を貫徹し得る以上、それはプロレタリアートの基本的特質を示しており、故に、前項のようにそれを規定し得るという認識である。

 しかし、単に上記の傾向に準じているだけではなく
発展段階論のかなり直接的な適用に基づく
点に、その一つの特徴がある。
 
 この点は(a)のプロレタリアートについての認識はもちろんであろう。

 (b)の闘争・「実践活動」についての認識は、あくまでも闘争・「実践活動」一般についての認識であり、社会主義革命に向けての闘争・「実践活動」に限定されるものではない。

 例えば、「中国民族」に上記の人格・英知をもたらしたものは、「一世紀にわたる帝国主義にたいする闘争」なのであって、共産党の革命闘争のみの成果とされているわけではない。

 しかし、上記の「科学的闘争」のもっとも「発展」した形態は社会主義革命に向けての闘争と認識されているはずであり、上記の「中国民族」評価も社会主義革命の達成を受けてのものという側面は否定しがたいであろう。

 ただし、石母田の論考には、共産党執行部を
「精神の高貴さ、魂の純潔、人間愛への信頼」を失わなかった「選ばれたる人々」 
とするような、言わば手放しの礼賛は見られない(小熊ー2002、183頁)。

 というより、前記したように石母田の論考には執行部メンバーについての言及はほとんど見られないのである。

 しかし、これをもって、上記の執行部に対する認識、さらには敬意を否定することはできないであろう。

 恐らく、石母田が党執行部に言及しないのは、
党員ではあっても、石母田が党から独立した研究者である以上、そもそも適切ではない
からであろう。

 高評価・敬意の表明については、なおさら不適切であるばかりか、
未だ本来の課題である社会主義革命を達成していない段階ではマルクス主義者・党員としても適切ではない
からと見られる。 
 
 以上を踏まえた上で、
石母田の上記の(α)〜(δ)の論理を採用せしめた心理的背景
として、(1)・(2)の前提となる
(ア)「無謀な戦争への突入を許し、悲惨な敗戦を招いてしまったこと」への「悔恨」
(イ)「戦争への抗議を公言する勇気を欠いていた」ことへの「悔恨」
を挙げることができる(前項参照)。

 当時の一般的知識人同様、石母田もまたこのような「悔恨」を抱いていたであろうことはすでに指摘がある(高橋ー2011)。

 しかし、歴史学研究者である石母田の場合、(ア)・(イ)を抱きつつもそれを基盤とした
(ウ)「歴史学が戦争に利用されることに抵抗する勇気を欠いていたこと」への悔恨
もまた存在したと見るべきであろう。

(この項、続く)


〈参考文献〉

・石母田正「追記」(『歴史と民族の発見』平凡社ライブラリー、2002年。表3−bW4。初出は1952年)

・石母田正「学風の改革の問題」(『続歴史と民族の発見』東京大学出版会、1953年。表3−bP11)

・小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社、2002年)

・高橋昌明「石母田正の一九五〇年代」(『歴史評論』732、2011年)



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