ある女性研究者の自死と学界ー学界の責任は?-

 年頭の前項で「本年は何とか、ブログを更新できるように頑張ります。」と書いたが、何ら更新しないまま1年の3分の1以上が経過してしまった。  しかし、今回はブログを更新する。  あまりにも悲劇的な事件が報道されたからである。  この件については報道に接した翌日にFBで感想めいたものを書いたのだが、より整理した考えをブログ…
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ご退位の記念に絞める首十三ー2018年を振り返る(2)-

   明けましておめでとうございます。  本年は何とか、ブログを更新できるように頑張ります。  さて、年明けではあるが、前項に続き2018年を振り返ってみたい。  2018年と言えば、やはり「差別問題」である。  『新潮45』の杉田水脈「論文」(というより、ただの「俗情垂れ流し」だったが)で改めて社会問題化した…
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子どもに広がる根深い「テストコンプレックス」-2018年を振り返る(1)-

 2018年もあと5時間弱で終わりである。  このブログは6月29日ぶりの更新になる。  更新停滞の理由も含めて2018年を振り返ってみたい。  まず、本ブログの更新停滞について。  基本的理由はとにかく生業の家庭教師業が多忙だったことである。  2017年の12月後半から2月上旬にかけては50日近く休みが…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか29-共産党綱領との関係・10

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (15)石母田古代国家論と共産党61年綱領(10)-61年綱領と石母田古代国家論・8- 石母田古代国家論が共産党の61年綱領と一定の関係を有していた可能性を想定する第三の根拠は、石母田が基本的には党執行部に忠実な党員であったことである。  本項・27で述べたように、60年代において…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか28-共産党綱領との関係・9

 2018年も早くも3分の1以上を経過した。  しかしながら、ようやく本年最初の投稿である。  やっと投稿できる環境が整ったからで、ともかくスケジュールに追われる2018年の立ち上がりであった。  まことに遅ればせながら、本年もよろしくお願いします(今頃、こんなあいさつをしているのは私ぐらいだろう)。 (前々…
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2017年を振り返る

 2017年も今日で終わる。  まずは本ブログをご覧いただいた方にお礼申し上げます。  最初は今年の本ブログについて。  12月30日までの集計で今年一年のPVは58433である。  一方、昨年一年間のPVは72193だった。  72193-58533=13760で13760減ったということになる(厳密には…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか27-共産党綱領との関係・8

(前々項の続き) 1.古代国家論への転換 (15)石母田古代国家論と共産党61年綱領(8)-61年綱領と石母田古代国家論・6-    以上、戦後の40年代後半から50年代の石母田の共産党への認識について述べてきた。  それは歴史学界ではあまりこの問題に触れないためでもあるが、基本的には60年代の党への批判の意義を確認す…
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ブログ6周年ー更新事情と今年度記事ランキング

 10月11日でこのブログも6周年を迎えた。  いつもご覧いただいている方々にまずはお礼申し上げます。  さて、まず恒例の参照数・PVの発表から。  昨年、10月9日段階の総参照数は「45811」であった(以下、昨年のデーターは「ブログ5周年ー今年度人気記事ランキングー 」参照)。  本年10月11日(23:34…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか26-共産党綱領との関係・7

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (15)石母田古代国家論と共産党61年綱領(7)-61年綱領と石母田古代国家論・5-  石母田が共産党に学問への批判・介入への認めた心理的背景として、(ウ)「歴史学が戦争に利用されることに抵抗する勇気を欠いていたこと」への悔恨を想定し得る基本的根拠は津田左右吉を論じた石母田ー1949…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか25-共産党綱領との関係・6

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (14)石母田古代国家論と共産党61年綱領(6)-61年綱領と石母田古代国家論・4-  前々項・前項の分析を踏まえて、石母田の党執行部への学問への批判・介入の「権利」承認の論理を整理すれば、(α)プロレタリアートの特徴である「大衆」の参加による政治と学問の「結合」を組織的に担うのが党…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか24ー共産党綱領との関係・5

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (14)石母田古代国家論と共産党61年綱領(5)-61年綱領と石母田古代国家論・3-  次に、石母田の共産党への学問への批判・介入の「権利」の承認の前提の中の(E)党執行部への高評価について。  石母田が自らの「生命」とも言える学問の、言わば生殺与奪の権を党執行部に委ねた以…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか23-共産党綱領との関係・4

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (14)石母田古代国家論と共産党61年綱領(4)-61年綱領と石母田古代国家論・2-  前項で述べた不十分さにも関わらず、石母田の(ア)~(ウ)の党執行部への批判の意義は過小評価できないと考えるが、ここでは行論の前提として、敗戦直後の40年代後半から「国民的歴史学運動」時までの石…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・22‐共産党綱領との関係・3

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (14)石母田古代国家論と共産党61年綱領(3)-61年綱領と石母田古代国家論・1-  次に61年綱領と石母田古代国家論との関係について。  結論から言えば、基本的に両者の間にも直接の関係はないと考えられる。  これは言い換えれば、石母田古代国家論は党の立場を「代弁」…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・21‐共産党綱領との関係・2

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (14)石母田古代国家論と共産党61年綱領(2)-社会主義革命論と石母田古代国家論-  次に石母田古代国家論と61年綱領及びそれを巡る党内論争・対立との関係を概観しておこう。  まず、党執行部と対立した春日庄次郎の社会主義革命論と石母田古代国家論との関係について。  …
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・20-共産党綱領との関係・1

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (13)石母田古代国家論と共産党61年綱領(1)-61年綱領の概要及び石母田と党内対立-  本項以後は日本共産党が61年に採択したいわゆる「61年綱領」と石母田古代国家論の関係について検討する。  ただし、後述するように石母田古代国家論とこの綱領及び採択に至る論争・党内対立…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・19-古代国家論と「大衆」・9

(前々項の続き) 1.古代国家論への転換 (12)石母田古代国家論と「大衆」(9)-「啓蒙主義」の克服からの「離脱」の原因と意義・4- 石母田の「啓蒙主義」克服という課題からの「離脱」の意義につき、石母田古代国家論が、現在の古代史研究において仮説や問題提起の重要性が忘れられ、研究手続き的な厳密さだけが尊敬されるようになる端…
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新指導要領「聖徳太子」復活ー歴史・日本社会・「右翼」・古代史学界ー

 「『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか」を続けているが、ちょっと中断。  急を要する話題が生じたからで、それが新指導要領に「聖徳太子」が復活するという話である。  中学から「厩戸皇子」の表記が基本になる予定で「聖徳太子」は注記される予定だった(ちなみに「聖徳太子」の表記が消えるという『産経新…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・18-古代国家論と「大衆」・8

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (12)石母田古代国家論と「大衆」(8)-「啓蒙主義」の克服からの「離脱」の原因と意義・3-  石母田の「啓蒙主義」克服という課題からの「離脱」の意義につき、石母田古代国家論が、現在の古代史研究において仮説や問題提起の重要性が忘れられ、研究手続き的な厳密さだけが尊敬されるようになる端…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・17-古代国家論と「大衆」・7

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (12)石母田古代国家論と「大衆」(7)-「啓蒙主義」の克服からの「離脱」の原因と意義・2-  前項での指摘を踏まえて、石母田の「啓蒙主義」克服という課題からの「離脱」の意義について改めて検討してみよう。    今日の観点から見て看過しがたいその意義は、石母田古代国家論が、現…
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『日本の古代国家』はいかに時代と切り結んだか、又は切り結ばなかったか・16-古代国家論と「大衆」・6

(前項の続き) 1.古代国家論への転換 (12)石母田古代国家論と「大衆」(6)-「啓蒙主義」の克服からの「離脱」の原因と意義・1-   石母田が「啓蒙主義」の克服という課題から「離脱」したことは、どのような意義を有しているのであろうか。  第一に言えることは、石母田古代国家論が「大衆」からは「かい離」した形で生み出…
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